2025.11.20
──Japan Craft21 代表のスティーブ・バイメルさんが語る、伝統を未来へつなぐ使命

はじめに
54年前、ひとりの若きアメリカ人が北日本の小さな街の駅に降り立った。手にしていたのは仕事のオファーと好奇心だけ。日本は彼が特別に望んだ目的地ではなかった。インドや他のどこかでもよかったのかもしれない。けれど運命は彼を仙台へと導き、その街は静かに彼を魅了していった。
畳の青い香り、障子越しのやわらかな日差し、手に伝わる木桶のなめらかな曲線、漆椀の深い艶、カーテンを束ねる組紐の美しさ、地元市場で新鮮な魚を包む経木の杉のような香り――日常の何気ない風景の中に、控えめでありながらも深遠な美が息づいていることに気づいた。
そんな小さな出会いが、一生をかけた使命の種をまいた。年月を経て、その使命は「日本の工芸の生きた伝統を守り、育み、未来へ橋渡しする」ことへと昇華された。現在、JapanCraft21の代表として、スティーブ・バイメル氏は消えゆく技術の保護、次世代の職人の育成、日本の工芸文化を世界に伝える活動に力を注いでいる。
仙台で変わった人生
Q1. 日本に住むことを決めたきっかけは?
54年前、仙台YMCAの英語教師の求人を偶然目にしたのが始まりです。応募して仕事を得て、ビザを取得し、日本のことをほとんど知らないまま渡航しました。正直に言えば、日本にこだわりがあったわけではありません。もし良い機会がインドやほかの国であれば、そちらに行ったでしょう。
しかし、仙台での暮らしは驚きに満ちていました。新しい畳の香り、障子越しのやわらかな光、手仕事の木桶の感触、漆器の温もり、カーテンを束ねる組紐の美しさ、魚屋で使われる経木の香り――それらは単なる生活道具ではなく、文化の表現そのものでした。一つひとつが私の美意識を揺さぶり、工芸が生活そのものの中に織り込まれていることを知ったのです。
文化の扉を開く
Q2. 日本の工芸と深く関わるようになった経緯は?
仙台での英語の生徒の多くは教養豊かな主婦で、お茶や歌舞伎など日本文化に詳しい方々でした。彼女たちに招かれて初めてお茶会に出席し、能や歌舞伎を観劇しました。まるで別世界への扉を開いたような体験で、日本文化の奥深さを静かに教えられた時間でした。
その後、東京へ移り住み、さらに数年はアメリカに戻ってビジネスの仕事に携わりました。しかし日本のことがずっと心にありました。再び日本へ戻り、翻訳を学び、日本人女性と結婚し、日本での生活を本格的に考えるようになりましたが、再びアメリカで10年を過ごすことになったのです。
京都・大徳寺前で
旅行業から工芸支援へ
Q3. 観光業から職人支援にシフトした理由は?
1992年、京都で外国人観光客向けの旅行会社を立ち上げました。当時の観光客は日本文化を表面的にしか体験せず帰国することが多く、それは大きな損失だと感じました。そこで、大徳寺の僧侶とのお茶会、職人の工房訪問、長期滞在型の文化体験などを企画しました。当時は珍しい取り組みでしたが、口コミで評判が広がりました。
日本各地を巡る中で、職人たちが抱える課題が見えてきました。高齢化による技術の継承問題、必要な道具や素材の入手困難、そして消えゆく伝統技術。知れば知るほど、このままでは失われてしまうという危機感が募り、その思いがJapanCraft21設立の原動力になったのです。
