金箔の家に生まれて

私が生まれたのは、石川県小松市の病院。
けれど、育ったのはもっと小さな町──日本海に面した、白山のふもとの美川町でした。

父の実家は金箔屋。
でも彼はその道から、少し離れた人生を歩もうとしていました。

大学では英語を学び、通訳のアルバイトをして、銀行に入り、
念願だった外国為替の部署にも配属されました。
その後は港運会社に転職し、輸出入の仕事を学びはじめていた頃──
突然、家の事情で再び工房を継ぐことになったのです。

思い描いていた人生とは、少し違う道だったのかもしれません。
けれど父は、そのことについて何も語りませんでした。
ただ静かに、目の前の仕事に向き合っていた姿が今でも忘れられません。

そんな父が、よく言っていた言葉があります。
「おまえは、好きなことをやりなさい。自由に、生きなさい」
それは命令でも教訓でもなく、
彼自身が語らなかった“もしも”を、そっと私に託すような声でした。

私は工芸とも職人の世界とも距離を置いて育ちました。
好きなことをして、外の世界を見て、自分なりの道を探してきました。

けれど今になって、ふと気づくのです。
私の中には、父が本当にやりたかったことの“続きを生きたい”という、
静かで確かな意志が、ずっと眠っていたのだと。

響いていたのは、金を打つ音だった

工房は、静かというより、金を打つ機械音が響く場所でした。
ガン、ガン、と規則的に鳴る重たい音が、空間を支配していました。

金箔づくりは、静寂の中の作業ではありません。
特に、金を何度も何度も叩いて延ばす工程では、大きな音と振動がつきものでした。
その一方で、打ち終えた金を「箔」として扱うときには、極限の繊細さが求められます。

扇風機すら許されない──
ほんのわずかな風でも金箔はふわりと舞い、破れてしまうからです。

そんな厳しい環境の中で、
父は力強い工程を、母は繊細な仕上げを。
それぞれの仕事をしながら、でもどこかで支え合っていました。

私は、そのふたりの背中を、ずっと見て育ちました。
多くを語るわけでも、演出されたような温かさでもなく、
でもたしかに、協働する夫婦の姿が、そこにありました。

工房の中は、淡々としていて、ある意味で心地よかった。
けれどその外側──職人社会や商売の世界には、厳しさがありました。

狭い業界ゆえに起きる引き抜きや、信頼の揺らぎ。
そして、ときに静かに行われる牽制や無言の圧力。
父はそういったことを直接語ることはなかったけれど、
時折、背中からその疲れが滲み出ていた気がします。

今にして思えば、それも商売というものかもしれません。
競争があり、仕組みに勝った人が生き残る世界。
でも──
父には、そんな道とは違う、生き方もあったのではないか、
そう思う瞬間もあります。

それでも、父と母の手から生まれた金箔は、
誰にも真似できない美しさを放っていた。
それは、ただの素材ではなく、
祈りのかけらのような何かを、たしかに宿していたのです。

消えていったもの

私が「まかないこすめ」を立ち上げたのは、
工房の台所にあった、祖母や母の知恵──
“裏方の美しさ”を、もう一度世の中に届けたいと思ったからでした。

金箔づくりの過程で培われた肌への気遣いや、
職人の手をいたわるための自然の工夫たち。
それは、華やかではないけれど、確かに人を支える力を持っていました。

ブランドは少しずつ、動き始めました。
お客様の声が届き、商品が並び、
やっと「かたちになってきた」と感じられるようになったその頃──

父が亡くなりました。

ようやく何かを伝えられそうだった。
ようやく、自分にもできる小さな一歩が、家族の営みに続いているように思えた。
けれどそのとき、父はもう、この世にはいませんでした。


父は、まかないこすめの店舗も、
そこに生まれていた賑わいや、私の静かな達成感も、見ることがありませんでした。

「何ひとつ楽しい思いをさせてあげられなかった」──
その想いは、今でも胸の奥に残っています。

それでも、きっとどこかで見ていたのではないか。
言葉にすることもなく、ただ静かに、
遠くから私の背中を見守っていてくれたのではないか。

そう思いたくなるような瞬間が、時折、ふいに訪れるのです。

WAJOYの原点

工房も、技術も、父も、もうこの世にはありません。
けれど不思議なことに──
私は今、再び金箔という素材と向き合っています。

それは、かつて父が歩んだ道をなぞりたいわけではありません。
同じように工芸を守る人になりたいわけでも、
伝統をそのまま受け継ぐことが目的でもないのです。

私が惹かれたのは、「失われたもの」に宿る静かな問いでした。
なぜ、こんなにも美しいものが消えてしまうのか。
なぜ、私たちは“欠けてしまったもの”を無かったことにしようとするのか。

そして気づいたのです。
私が本当に伝えたかったのは、“完全なもの”ではなく、
むしろ、失われたものを抱えながら、それでも美しく在ろうとする姿勢なのだと。

WAJOYは、そうした問いから生まれたプロジェクトです。
金箔や漆、工芸の技を通して、
「再構築」や「継承」という言葉では届かない、
もっと深い“心のかたち”のようなものを、もう一度考え直したい。

WAJOYがめざすのは、“生き方としての美しさ”の再定義です。
それは、過去でも未来でもなく、“いま”の私自身がほしいと感じているものなのです。

これから

私には、ずっと忘れられない風景があります。

日々、黙って手を動かし、誰にも褒められず、
それでも誰かのために、美しいものをつくりつづける人たち。

父も、母も、祖母も──
そして今、日本中の見えにくい場所で、誇りを持って技術を磨き続けている職人たちも。

私は、そんな人たちの力が、もっと自然に世界に届く環境をつくりたいと思っています。
それは“ステージに上げる”ということではなく、現代の暮らしの中に、あたりまえに美が根づく状態を、共につくっていくことです。

WAJOYは、そうした構造の再設計と出会い直しの場です。

工芸とは、ただ失われていくものではありません。
日本の職人は、壊れたものですら、もとの“完璧さ”を超えて、美しくする技術と工夫を持っています。
そして何より、その手から生まれるものは、最初から完成度が極めて高く、
それだけで人の心を動かす力があります。

けれど、その完璧なものが壊れたときにさえ、
「もう一度向き合い、手をかけ直すことで、前より美しくする」──
そこに、日本のものづくりの真の底力があるのだと思います。

私は、そうした精神を、ただ保護するのではなく、
今の世界の暮らしや美意識と響き合うかたちで、“再編集”していきたい。

きれいごとではなく、確かな需要と手触りをもったプロダクト。
“ただ売れるもの”ではなく、“本当に欲しいもの”。
その間をつなぐような美しい提案を、私は職人たちとともに生み出していきたい。

そこには、静かな覚悟と、ワクワクが共にあります。
WAJOYは、過去でも未来でもなく、“いま”を美しくするための現場なのです。

世界に耳を澄ませながら

今後は、日本の工芸の本質と可能性を見つめながら、海外で活躍する工芸・デザイン・建築・文化関係者へのインタビューを通して、その視点や対話を綴っていきます。
※英語版インタビュー等は Medium にて公開しています。