― ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館学芸員・山田雅美さんが語る、日本工芸の美と未来
はじめに
「日本の工芸は、ものづくりを通じて、どう世界と関わるかという問いに対する答えになり得る。」ロンドン・V&A博物館(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)の日本部門でキュレーションを担当している山田雅美さんに、美しさ”だけでは語れない日本のクラフトマンシップの深い意味をどのように世界へ伝えてきたのか、そして今どんな未来へつなげようとしているのかをお聞きしました。世界有数の日本美術コレクションに囲まれてきた彼女が、静かに、深く語る“日本の手仕事の本質”とは。
日本工芸がラグジュアリー空間で評価される理由
Q 1:ヨーロッパのラグジュアリー空間で、日本の工芸がどのように評価されていると思われますか?
陶芸、漆、染織、金属など、日本にはさまざまな工芸素材がありますが、「この素材だからラグジュアリー空間にふさわしい」ということは、もはやあまり関係ないと思っています。
むしろ重要なのは、どんな素材であれ、たとえそれが伝統的な工芸素材でない場合であっても、そこに込められている手仕事の質、細部へのこだわり、そして完成度の高さです。
日本の工芸は、小さな器から大きな調度品まで、その多くが何世紀も続く技法と現代的な感性を掛け合わせて、生み出されます。大量に手早く商品を作ることが可能になった現代だからこそ、日本の工芸が持つラグジュアリー性は、生産的とは決していえないような時間と手間をかけて、「商品」ではなく「文化遺産」として価値あるものを提供できるところにあると思います。

V&Aの中庭で。アジサイが美しい時期にインタビューを。
V&Aで見える「精神性としての工芸」
Q 2:V&Aで日本工芸を扱ってこられて、日本の工芸の“精神性”を強く感じるのはどんな時ですか?
私はV&Aで、日本の古代から現代までの作品を扱っています。長年お世話になっている蒔絵の人間国宝・室瀬和美先生が、日本の学校で子どもたちから「なぜこんなに面倒な工程を経て作品を作るのですか」と率直な質問を受けた際、「手間をかけるからこそ、文化なんだよ」と伝えられたというお話が、とても印象的で好きです。
先生がおっしゃる通り、今も昔も日本の工芸は、信じられないほどの手間をかけて生み出されてきたと思います。そして、その背景には、祈りにも似た素材を大切にする気持ちや、ものに魂を吹き込むような制作工程があり、そこに「精神性」を感じます。
今注目する分野――漆芸の可能性
Q 3:数ある分野の中で、今特に注目している日本の工芸はありますか?
博物館では主に工芸作家による作品を取り扱っていますが、個人的にとても注目しているのが漆芸です。来年、V&Aの日本ギャラリーで「21世紀の日本の漆芸」をテーマにした特別展示を開催する予定があり、その準備のため、この数年は東北から北陸、そして四国の香川県まで、漆芸の伝統が根付く土地を訪ね歩いてきました。
日本でも海外でも、展覧会や出版物の数で言えば現代陶芸を目にする機会が圧倒的に多いのですが、実は今、日本の美術大学では漆芸がとても人気のある分野になっています。若い世代の作家さんたちが次々に誕生しているのです。
私たちの日常生活からは漆器が姿を消しつつありますが、伝統的な器を作る作家さんから、古典的な様式を保ちながら現代的な文様を取り入れる作家さん、さらに工芸の枠を超えて、漆を使った彫刻的・絵画的な作品を手掛ける作家さんまで、本当に多彩です。漆はアジア特有の素材であり、各国に現代的な漆芸作品を作る作家がいらっしゃいますが、ここまで幅広い芸術表現が生まれているのは日本ならでは。このような現代の漆芸の魅力を世界に向けて発信していくことに、大きな意味を感じています。
海外が魅了される“日本的なこだわり”とは
Q 4:海外の方々は、日本の工芸のどのような点に魅力を感じていると思われますか?
V&Aでは、日本ギャラリーに限らず、古い作品と現代の作品をあえて並べて展示することがよくあります。そこには、「過去を知ることは現在地を知ることであり、現在地から歴史を振り返ることもできる」という意図があります。
日本の工芸の場合、どの素材にも何百年と続く歴史があることが多く、その技法の多くが、途絶えずに現代にも受け継がれているのは、世界的にも珍しいことです。同じ素材や技法で制作された江戸時代の作品と現代の作品を並べることで、技術の連続性と思想の変遷が視覚的に伝わり、まるで時間の層が立ち上がるように感じられます。この歴史の厚みこそが、魅力的に感じられるのではないでしょうか。

ヴィクトリア&アルバート博物館には世界中のファンが訪れ、V&Aという呼称で知られています
金継ぎ・不完全の美が伝える世界観
Q 5:金継ぎのような「不完全を受け入れる美意識」は、海外ではどのように受け止められているのでしょうか?
金継ぎは、日本で何世紀も続けられてきた修復の技術であると同時に、時間や記憶、再生の哲学を表現するものでもあります。だからこそ、今の時代に響くのだと思います。「金継ぎKintsugi」という言葉は、もはや陶磁器の修復にとどまらず、英語圏ではメンタルヘルスや心の健康の分野でも広く使われ、「完璧でなくてもいい」というメッセージの象徴となっていることは、注目に値します。
山田さんにとっての「美しいもの」
Q 6:ご自身にとって「美しいもの」とはどういったものですか?
私が個人的に「美しい」と感じるのは、単に形や装飾が美しいということだけではなく、作品が放つ「唯一無二の存在感」があるかどうかが大きく関わっているように思います。
日本の工芸作家が素材に向き合う姿勢には、強い信念を感じます。作品のフォルムや装飾のバランス、完成度とともに、作者が込めた想いとともに確かな存在感を放つものに、美しさを感じます。

V&Aのグランドフロアがライトアップされ、ロンドンアジアンアートフェアのレセプション会場などとして使われています。
日本文化は海外からどう見られているのか
Q 7:ロンドンにおける日本文化の印象は、この数十年でどのように変わってきたと思いますか?
V&Aの日本ギャラリーが1986年にオープンした頃、当時のロンドンではまだ「日本に行ったことがある人」は限定的でした。「遠い極東の国」という印象が根強かった時代、日本ギャラリーは、“日本と出会う場所”だったのです。
それが40年経った現在では、日本食、ユニクロ、ジブリ、ポケモンなど、日本文化がすでにロンドンの日常に溶け込み、私の周囲でも毎年大勢の人が実際に日本を訪れています。V&Aで展示を手掛けていて興味深いのは、日本に関心をもつきっかけが本当に人それぞれで、古いお茶碗の造形に憧れる人もいれば、現代のプロダクトデザインに魅力を感じる人もいて、その幅広さに時代の変遷を感じますね。

V&Aの日本ギャラリーで公開中の現代工芸の展示風景
日本工芸が世界に示す未来への道しるべ
Q 8:最後に、これからの世界に対して日本工芸が届けられる価値とは何だと思われますか?
日本の工芸が持つ本質的な価値は、単なる技術の精緻さにとどまりません。それは「ものづくりを通じて、どう世界と関わるか」という哲学的な問いに対する答えにもなり得ると、私は思っています。
現代社会は、利便性や即時性が最優先され、結果として“効率のよいもの”が尊ばれる傾向にあります。でも、日本の工芸には、そうした潮流とはまったく異なる「時間と対話する」価値観が根付いています。素材に向き合う時間、工程を重ねる時間、そして使い手の暮らしの中で“育つ”時間。こうした時間の積み重ねが、作品そのものに重層的な意味と美しさを宿らせていくのです。
それは、単に古いものを残すという意味ではありません。むしろ、過去から未来への橋を架ける行為だと思います。たとえば金継ぎは、壊れたことを隠して“なかったことにする”のではなく、傷を抱えたまま新たな物語を刻むことで、ものの存在に深みを加えていく。そうした「欠けを受け入れる」「変化を肯定する」価値観は、今まさに世界が必要としている視点かもしれません。
そして、何よりも大切なのは、“作る”という行為の中に、人と人、人と自然、人と時間とのつながりを回復させる力があることです。日本の工芸は、その象徴として、これからの世界の価値観を静かに問い直す存在であり続けてほしいと思います。
日本の工芸は、速さや効率を追求しがちな今の社会において、「ゆっくりと、深く向き合うことの価値」を示してくれる存在だと思います。
技術やデザインの巧みさだけではなく、その背後にある精神性や文化の歴史――それこそが、これからの世界において必要とされていくものだと信じています。
おわりに
現代の日本工芸は、単なる「美しさ」を超え、見る者の価値観や感性そのものを揺さぶる存在となりつつあります。
山田さんのお話からは、「完成」や「均整」ではなく、「欠け」や「時間の痕跡」さえも肯定する日本独自の感性が、世界の多様性と静かに共鳴しはじめていることが浮かび上がります。
海外の視点を通して、私たちは改めて、日本のクラフトマンシップが内包する“意味”――それは技術だけでなく、文化、精神、そして生き方にまで及ぶということに気づかされるのです。
美しいだけじゃない。それが、これからの日本工芸の価値なのかもしれません。
インタビュー・文:立川真由美
山田 雅美(やまだ まさみ)プロフィール
ロンドン V&A博物館 日本部門キュレーター

山田雅美さん Photo by Peter Kelleher
山田雅美さんは、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)アジア部門にて、2018年より日本コレクションを担当するキュレーターです。江戸時代の漆工芸や浮世絵から、現代のクラフトやデザインまで幅広く精通し、世界有数の日本美術・工芸コレクションの企画・研究に携わっています。
東京に生まれ、国際基督教大学(ICU)で西洋美術史を学んだ後、シティ・ユニバーシティ・ロンドン(City, University of London)の大学院修士課程を修了。V&A勤務以前は、ロンドンの大手オークションハウス日本美術部門にて7年間勤務し、日本の美術品が西洋でどのように流通・理解されてきたかについて深い知見を培いました。
V&Aでは、国際的に高く評価された展覧会《Kimono: Kyoto to Catwalk(キモノ ─ 京都からランウェイへ)》(2020年) において企画・調査に参加。この経験を生かして、2024年には、V&Aのアンナ・ジャクソンと共著で『Fashion and the Floating World: Japanese Ukiyo-e Prints(ファッションと浮世:日本の浮世絵)』を出版。さらに、近年は、現代漆芸作品の収集と研究を通じて、博物館の日本の漆芸コレクションの拡充に貢献し、2022年には「Sir Nicholas Goodison Award for Contemporary Craft(現代工芸賞)」をV&Aにもたらしました。
また、イギリスのセインズベリー日本藝術研究所、立命館大学との連携による「Re-thinking Japonisme(ジャポニスム再考)」プロジェクトでは中心的な役割を担い、V&Aが所蔵する浮世絵や古典籍のデジタル化と研究を進めています。
素材への真摯なまなざしと、文化の連続性、作り手が込める想いを重んじる山田さんのキュレーションは、伝統と現代をつなぎ、日本工芸の新たな価値を国際的に提示し続けています。