「WAJOY Voices – 日本の工芸に宿る声を聴く」の第2回インタビューを公開しました。
─ヨーロッパのデコンテンツキュレーター・ジャンフランコが語る、日本の工芸とクラフトマンシップの未来
はじめに
なぜ日本の工芸にはこれほどまでに深い精神性が宿っているのか──。
本インタビューでは、ヨーロッパ在住のコンテンツキュレーター、ジャンフランコ(Gianfranco)が、日本の素材や美意識、そして工芸文化がいかに人々の暮らしに影響を与えているかを語ってくれました。
「Resilience(しなやかな強さ)」「Regeneration(再生)」「Reverence(敬意)」というキーワードを軸に、日本の工芸が未来に向けて持つ本質的な価値について、静かに、しかし情熱を込めて語られる一つひとつの言葉には、世界と繋がるための多くの示唆が込められています。
Q1:素材とは「時間」である
Q. 日本とヨーロッパの素材感の違いについて、どう感じていますか?
素材とは単なる「モノ」ではなく、「時間」そのものだと思います。
たとえば陶器、木、ガラス、金属などは、日欧のどちらにも存在する素材です。でも漆(うるし)のように、西洋では馴染みがない素材もあります。初めて漆の器を触った人は「プラスチック?」と感じるかもしれません。軽くて、つるりとしていて。
でもその背景にある「手間のかかり方」や「時間」を知ると、見る目が変わる。日本の素材には、加工に込められた「時間」が宿っているんです。素材が辿ってきた物語──それこそが文化の厚みだと思います。
Q2:隠れた部分にこそ宿る美
Q. 日本の工芸やデザインで、特に美しいと思う点は?
見えない部分にこそ、美しさが宿っているということ。
障子の裏側、棚の奥、誰も気づかないような細部にまで、丁寧な仕事が施されている。
西洋では「技巧を見せる」ことで価値を表す文化がありますが、日本では「隠す」ことが美になる。その姿勢には深い敬意を感じます。
誰かに見せるためではなく、自分の手を抜かないためにつくられる美。それに私は強く心を打たれます。
Q3:美とは「意図」である
Q. 「美しさ」とは何だと思いますか?
私にとって、美とは「意図」だと思います。
シンプルなものであっても、そこに意味と意志が込められていれば、美しい。
たとえば仏教の寺院や枯山水の庭園──すべての配置に意味がある。意図がある。だからこそ、見る人の心を動かすんです。
逆に、ただ派手なだけで意味のないものには、美を感じません。
日本の工芸には、「頑張ってます!」という主張がない。むしろ控えめ。でも、その奥にある誠実さこそが、私にとっての美しさです。
Q4:「侘び」と「寂び」──ふたつの感性
Q. 日本独自の「わびさび」についてどう感じていますか?
西洋では「wabi-sabi」はひとつの概念のように紹介されがちですが、実は「侘び」と「寂び」はもともと別のものなんです。
私は特に「寂び」のほうに惹かれます。つまり、「時間とともに美しくなっていくこと」。
錆びやひび割れ、擦り切れた跡──それらは時間の痕跡であり、静かな尊厳を持っている。
西洋の「完璧さ」や「新品志向」とは真逆の価値観ですよね。私はこの「寂び」の美しさに深く共感します。
注釈:
・「侘び」とは、簡素さ・控えめさ・不完全の中にある美しさ。「寂び」とは、時間の経過や劣化を通して表れる味わいや風格のこと。 この2つが組み合わさることで、日本独自の「わびさび」美学が形成されています。
Q5:季節とともに生きるということ
Q. 日本の自然や四季との関係について、どう感じていますか?
かつてはヨーロッパも、日本のように四季とともに生きていました。
でも今では、利便性がそれを上書きしてしまった。
イギリスやアメリカのスーパーに行けば、季節に関係なくすべての食材が揃っている。でも日本には、まだ「旬」の文化がありますよね。
桜の花見、月見、紅葉、季節の果物やきのこ──自然とともに生きる感覚が、今も息づいている。
それはとても詩的で、そして人間らしいことだと思います。
Q6:サステナビリティと経済のあいだ
Q. サステナビリティとローカル素材について、どう捉えていますか?
誰もが「サステナビリティは大事だ」と言いますが、経済が不安定になると、人々はそれを忘れてしまうんです。
たとえばZARAやTimuで大量に服を買い、すぐに捨ててしまう──それが現実です。
日本の工芸品は、時間がかかり、丁寧に作られていて、長持ちする。でもその分、価格も高くなる。だからこそ、「本当のサステナビリティ」には、経済力と価値観の両方が必要なんです。
ロンドンにはチャリティショップがたくさんありますが、中身はZARAばかり。消費を減らしたい人と、安く多く手に入れたい人の2種類が存在しています。
見せる修繕(visible mending)という考え方も注目されていますが、それも「美意識」であり、必ずしも文化的価値と直結しているわけではない。消費社会と美意識のあいだには、複雑な矛盾があります。
Q7:工芸の本質──Resilience・Regeneration・Reverence
Q. WAJOYが掲げる「3つのR」について、どう思われますか?
Resilience(しなやかさ)は、今の時代に不可欠な力です。AIや気候変動、戦争など、私たちは不安定な世界を生きています。
Regeneration(再生)──これはより深い概念ですが、日本の工芸にはそれが宿っている。壊れたものを直す。古いものを生かす。欠けを美に変える。それはまさに「再生の美学」です。
そしてReverence(敬意)──これが日本文化の核だと思います。自然への敬意、素材への敬意、人への敬意。
これら3つは、見た目の美しさではなく、社会の在り方そのものを支える根本的な価値観だと感じます。
おわりに
ジャンフランコの言葉を通して見えてきたのは、日本の工芸が単なる「技術」や「製品」ではなく、生き方や哲学としての側面を持つということです。
「美とは、意図である」という彼の言葉には、日本人が忘れかけている精神性が静かに宿っていました。
世界が速く、大きく、そして表面的になっていく中で、日本の工芸が示す「静かで深い価値」は、これからますます重要になるのではないでしょうか。
Gianfranco Chicco(ジャンフランコ・チッコ)プロフィール

ロンドン在住のアルゼンチン出身デザイナー、コンテンツ・キュレーター。ロンドンデザインフェスティバルおよびロンドンデザインビエンナーレではコンテンツ&デジタル戦略責任者として活躍。The Webby AwardsやThe Lovie Awardsではヨーロッパ地域のマーケティング・ディレクターを歴任し、国際的なデザインイベントやイノベーションフォーラムに数多く関わる。近年は、世界中の職人やものづくり文化を再発見する「The Craftsman Newsletter」を主宰し、サステナビリティとクラフトの未来を問う視点で発信を続けている。エンジニアリングとMBAのバックグラウンドを持ち、テクノロジーと文化の橋渡し役としても活動。これまでにブエノスアイレス、ミラノ、東京、マドリード、アムステルダムを経て、現在はロンドンを拠点に活動。
https://www.gchicco.com/the-craftsman-newsletter/
このたび、WAJOYではインタビューシリーズ
「WAJOY Voices – 日本の工芸に宿る声を聴く」 を継続的にお届けしています。
第2回のゲストは、ロンドンを拠点に活動するコミュニケーションデザイナー、
Gianfranco Chicco(ジャンフランコ・チッコ)氏です。
編集者・文化キュレーターとしてさまざまな国際イベントを手がけ、
また自身でも陶磁器制作を行うなど、日本の工芸にも深い関心を寄せてきたチッコ氏に、
「Resilience(しなやかな強さ)」「Regeneration(再生)」「Reverence(敬意)」という視点から、
工芸の精神性や、そのグローバルな可能性についてお話を伺いました。
本インタビューは、以下の3つのメディアでご覧いただけます:
【Note掲載版(フォローや「スキ」での応援はこちらになります)】
▶ https://note.com/2025interview/n/n5a213d66e288 (日本語)
【Medium掲載版(英語読者向け)】▶https://medium.com/@tachikawa1228/interview-%EF%BC%92-beauty-is-intent-b11cc9f7c7a0 (English)
【WAJOY公式ウェブサイト(全文・登録不要)】
▶https://wajoy.net/category/blog/
ご関心をお寄せくださる皆さまにとって、より読みやすい形でお届けできれば幸いです。
いずれのリンクからでもご覧いただけますので、ご都合にあわせてご一読いただけましたら光栄です。
このたび、WAJOYでは新たなインタビューシリーズ
「WAJOY Voices – 日本の工芸に宿る声を聴く」 を開始いたしました。
第1回のゲストは、ロンドンを拠点に国際的に活躍するインダストリアルデザイナー、
David Tonge(デイヴィッド・トン)氏です。
20年以上にわたり、日本各地の職人や企業と協働を重ねてきたTonge氏に、
日本の工芸が持つ本質的な価値、グローバルな視点から見た魅力、
そして未来への可能性についてお話を伺いました。
本インタビューは、以下の3つのメディアで公開しています:
📝【Note掲載版(フォローや「スキ」での応援はこちらになります)】
https://note.com/2025interview/n/nf78bc3d12ae3
🌐【Medium掲載版(英語読者向け)】
https://medium.com/@tachikawa1228/interview-1-when-thought-takes-shape-e98b1356b0f5
📖【WAJOY公式ウェブサイト(全文・登録不要)】
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──デザイナーDavid Tongeが語る、日本工芸の本質とこれから
When Thought Takes Shape: Designer David Tonge on the Essence of Japanese Craft
はじめに – 「もの」ではなく「思考」をかたちにする仕事
工芸は、単なる“ものづくり”ではない。そう語るのは、英国ロンドンを拠点に、日本企業や職人たちと20年以上にわたり協働してきたデザイナー、David Tonge(デヴィッド・トング)氏です。
David氏が惹かれてきたのは、完成された「作品」ではなく、その背後にある「思考」──素材との向き合い方、プロセスの哲学、そして文化に根ざした技術の意味。それらを「かたち」にする、日本の工芸の本質に魅了されてきました。
本記事は、日本の工芸や精神性を多角的に掘り下げていくインタビューシリーズの第1回として、David氏の視点から「侘び寂び」や「不完全さ」「手仕事の哲学」「文化的差異」などを軸に、デザイナーとして見つめる日本工芸の本質とその未来の展望について語っていただいたものです。
Q1 ― 工芸の魅力は「素材」よりも「考え方」にある
Q:日本の工芸といえば、どんな素材や技法を思い浮かべますか?
正直言うと、ひとつに絞るのはとても難しいですね。たしかに、漆や藍染、金箔などはどれも魅力的です。でも僕にとっては、それらの技法自体よりも、それを支えている「考え方」や「プロセス」にこそ惹かれるんです。日本の工芸には、手間を惜しまない姿勢や、細部への徹底した集中力、そして素材と真摯に向き合う思想が込められています。
特定の技法や材料よりも、「なぜこのかたちになったのか」という問いに答えようとする姿勢が面白い。たとえば、金箔も漆も好きですが、僕にとっては“何を使ったか”よりも、“どうしてそれを選び、どう作られたか”がもっと重要なんです。だから「この技法が一番好き」と断言するより、「この思考に惹かれる」と言う方が自分にはしっくりきますね。
Q2 ― 日本と西洋の「自己表現」の違い
Q:日本と西洋のクラフト精神にはどんな違いを感じますか?
大きく違うのは、「自己表現」に対する考え方です。西洋では、学校教育の段階から「自分の意見を持ち、声に出すこと」が重要とされます。アーティストやクラフトマンにとっても、「個性」や「独自性」を前面に出すのが当然のように求められる文化なんです。
一方、日本ではむしろ「空気を読む」「調和を大切にする」といった集団的価値観がベースにあります。だから日本の職人やアーティストは、自分を前面に出すというよりも、技術や完成度に焦点を当てている印象があります。
この違いを象徴するのが、柳宗悦の『The Unknown Craftsman(無名の職人)』という本です。そこでは「日本の職人は作品に自我を出さず、ただひたすら良いものを作ろうとする。その姿勢こそ尊い」と書かれています。そしてそれに共鳴したのが陶芸家の濱田庄司で、彼もまた“無名性”や“無心での制作”を重んじていました。
この本を読んだとき、僕自身もハッとしました。西洋では「自分の声を伝えろ」と言われ、日本では「黙して語らず」の美学がある。その根本的な違いが、クラフトのアプローチにも色濃く反映されていると思います。
Q3 ― 職人はなぜ「売ること」が苦手なのか?
Q:日本の工芸家は、素晴らしい技術を持ちながらも“売ること”が苦手だと言われますが、それについてどう思いますか?
それは日本だけの話ではありません。たとえば、イギリスの陶芸家たちも同じ問題を抱えています。彼らは“器をより軽くする”、“釉薬を改良する”といった技術の探求に夢中ですが、ブランディングやマーケティングにはほとんど関心がありません。ビジネスの話になると、むしろ居心地が悪そうにすることも多いですね。
日本の職人たちも、驚くほど高い技術を持っているのに、それをどのように“外に伝えるか”についての訓練を受けていない場合が多い。だからこそ、第三者がその“語り手”になる必要があると思っています。
デザイナーや編集者にとっての役割のひとつは、作り手の思考を“物語”というかたちに翻訳することです。そうすることで初めて、世界中の人々がその工芸品の本当の価値に気づけるようになるのです。
Q4 ― 海外で伝えるには、“複雑さ”ではなく“深さ”を
Q:日本の工芸を海外に伝える際に、最も大事なことは何だと思いますか?
僕が大事にしているのは、“複雑さ”を説明することではなく、“深さ”を伝えることです。
日本の工芸は、工程が非常に細かく、技術的にも高度です。でも、そのディテールのすべてを逐一説明することが、必ずしも感動を生むわけではありません。
大切なのは、「なぜその工程が必要だったのか」「なぜこの素材を選んだのか」といった背景を伝えることです。たとえば「この器には何十回も漆が塗られている」「この金箔は一万分の一ミリの薄さだ」といった情報も、それが“なぜ必要だったのか”が語られることで、はじめて意味を持つんです。
それが伝わったとき、工芸品は“物”から“物語”に変わり、人の心を動かす力を持つようになるのだと思います。
Q5 ― 色彩の違いが生む“誤解”と“発見”
Q:日本の色彩感覚について、何か感じることはありますか?
日本の色彩は、とても繊細で曖昧さに富んでいます。それが西洋人には、最初は“弱い”とか“控えめ”に感じられることがあるんです。たとえば、パッケージに使われる色がすべてグラデーションだったり、色の変化がとてもやわらかい。
その後、スペイン人著者による日本の色彩に関する本──ロッセッラ・メネガッツォ著の『IRO』──を読みました。その中で、『源氏物語』における「襲の色目(かさねのいろめ)」の意味が解説されていて、目が開かれるような思いがしました。グラデーションは単なる美的選択ではなく、身分や季節、感情などに関わる深い文化的意味を持っていることに気づいたのです。
つまり、グラデーションが美しいのではなく、“グラデーションに意味がある”ということ。それを理解した瞬間、日本の色彩の奥深さが一気に開かれました。このように、色に対する“感性の翻訳”も、日本工芸を伝えるうえで大きな鍵になると感じています。
Q6 ― Wabi-Sabiと「リアルな日本」のあいだにあるもの
Q:外国人が抱く「日本=ミニマルで禅的」というイメージについて、どう思いますか?
正直に言うと、それは一種の幻想だと思っています。もちろん、禅や侘び寂びといった概念は日本文化に存在していますが、それが日本のすべてではない。実際の日本は、もっと雑多で、カラフルで、ノイズに満ちています。
僕が訪れた多くの家庭では、“もったいない精神”によってモノが溢れていましたし、祭りや商店街はとてもエネルギッシュです。京都や金沢のように静謐な美しさを感じる場所もありますが、同時に新宿や渋谷のような“雑多な日本”もまた真実です。
僕は、日本の本当の美しさは、「静けさと混沌」「豊かさと欠如」といった対比や揺らぎの中にあると信じています。日本を正直に描こうとするならば、その両方の側面をきちんと表現する必要があるのです。
Q7 ― 自作における「日本の影響」の受けとめ方
Q:ご自身の作品には、日本の影響があると思いますか?
もちろんあります。でも、僕は“日本の様式をコピーしたくない”と強く思っています。むしろ、“日本の精神”や“考え方”を自分の文脈で再解釈したい。
たとえば僕は今、陶芸に取り組んでいて、金継ぎのように「壊れたものを直すことで美しくなる」という哲学に強く惹かれています。また、「グレージング・ペンシル」という技法を使って、手描きのような線を釉薬で施す試みもしています。
僕が目指しているのは、“日本っぽく見える作品”ではなく、“日本で過ごした経験が自然とにじみ出る作品”。つまり、“Not from Japan(日本そのものではなく)”、“of Japan(日本に由来する)”なものを作りたいんです。
Q8 ― 石川県への思いと、未来のコラボレーション
Q:今後、日本の工芸とどのように関わっていきたいですか?
僕は石川県が大好きなんです。金沢や加賀、能登など、本当に多様で豊かなクラフト文化があります。特に金属加工、金箔、漆、陶芸…そのどれもが本当にユニークで、他の地域にはない魅力があります。
今後は、現地の職人たちと一緒に、新しい形のプロジェクトができたらと願っています。ただし、それは“西洋化する”という意味ではなく、“西洋と日本が対等に会話しながら共に作る”という意味です。
僕は翻訳者であり、橋渡し役でありたい。日本のクラフトを、欧州の暮らしや価値観とつなぐような、新しいかたちの提案ができれば最高ですね。
おわりに ― 工芸は、考えを語る「物語」である
David Tonge氏の語りは、私たちに改めて問いを投げかけてきます。工芸とはいったい何なのか。それは、美しいものを作ることなのか、伝統を守ることなのか、あるいはその両方なのか──。
彼の言葉を通して見えてきたのは、工芸とは「考えをかたちにする行為」であるという視点です。たとえば、一見すると静かで無口に見える日本の器には、実は深い思索と感情が込められている。それは、目立たない方法で語られる「無名の職人の哲学」であり、ひとつの器に塗り重ねられた何十回もの手仕事が、物言わぬ声として語りかけてくる。
そして、David氏が繰り返し語ったように、工芸は“物”として完結するのではなく、そこに宿る“なぜ”を通じて、人と人、文化と文化、時代と時代をつなぐ“物語”になる。つまり、工芸とは伝達の手段であり、想像力を刺激するメディアであり、そして記憶と精神性を未来へと橋渡しする営みでもあるのです。
いま、私たちが日本の工芸を世界に届けようとするときに必要なのは、技術だけではありません。そこにある「思考のプロセス」を正確に、そして詩的に翻訳する“語り手”の存在です。
西洋の人々が本当に知りたいのは、どんな技法が使われているかではなく、「なぜその形になったのか」「なぜいま、この素材を使うのか」といった背景です。David氏自身が「コピーではなく、“of Japan”を目指す」と語ったように、重要なのは“本質”をどう伝え、どう共創していくかにあります。
工芸は、無名の職人の哲学を未来へつなぐ「静かな思想」です。そしてその思想を、世界の異なる文化の中でも響かせるために、私たちには“語る力”と“翻訳する感性”が求められている──David氏の静かで力強い言葉は、そう語りかけてくれているように思えてなりません。

David Tonge(デヴィッド・トング)プロフィール
Founder and Director, The Division(ザ・ディヴィジョン)
David Tonge(デヴィッド・トング)は、ロンドンを拠点とするデザインコンサルタントスタジオ「The Division」の創設者であり、プロダクトデザイン、クラフトを起点としたイノベーション、国際的なコラボレーションを専門とする英国人デザイナーです。
ブラザー、パナソニック、資生堂、象印など、20年以上にわたり数多くの日本企業と協働してきた経験から、日本の素材文化やものづくりの哲学に対する深い理解を培ってきました。
彼の活動はインダストリアルデザインからクラフトリサーチまで幅広く、しばしば西洋と日本の思考様式の橋渡し役としても機能しています。また、自身も熟練の陶芸家であり、日本の影響を単なる模倣ではなく、思慮深い解釈として自身の作品に取り入れています。
文化交流への強い関心を持ち、デザインと工芸が物語性や文化的翻訳の手段として共存できる可能性を、今なお探求し続けています。
金沢から大阪へ向かう途中、記録的な大雨で到着が危ぶまれましたが、授与式の開会直前に無事間に合いました。
「大阪万博’70基金」は、国際相互理解の促進に資する活動を支援する、まさに万博らしい取り組みです。全国300以上の応募から、約60団体が選ばれました。
長年活動を続ける団体が多い中、スタート間もないWAJOYを採択いただけたことは、大きな励みです。これまで支えてくださった皆さまへの感謝とともに、この機会をロンドンでのプロジェクトへと確実につなげていきます。
2025年、大阪・夢洲での大阪・関西万博開催と同じ年にいただいたこのご縁を大切に、ここからさらに歩みを進めてまいります。



国内外のデザイン・工芸関係者へのインタビューを、noteとMediumで連載していきます
今年も輪島や加賀、金沢、ロンドン、パリなど国内外を精力的に巡り、多くのデザイン・工芸関係者の方々と対話を重ねてまいりました。その中で見えてきた「海外から見た日本の工芸の魅力と課題」を、今後note(日本語)とMedium(英語)にて少しずつ綴っていきます。
▶ note(日本語):
「金箔の記憶から、WAJOYは生まれました」
https://note.com/2025interview/n/nadd41ee06730
▶ Medium(English):
The Memory of Gold Leaf – WAJOY Was Born from a Lost Workshop
https://medium.com/@tachikawa1228/the-memory-of-gold-leaf-wajoy-was-born-from-a-lost-workshop-f6159d39aeec
まずは、自身の原点でもあるエッセイを両言語で公開しました。よろしければご覧ください。
またこのエッセイは、WAJOY公式ウェブサイトでも公開しております。
▶【公式ウェブサイト版(全文・登録不要)】
https://wajoy.net/%e7%a7%81%e3%81%ae%e9%87%91%e7%ae%94%e3%81%ae%e8%a8%98%e6%86%b6%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80%e3%80%80/
https://wajoy.net/私の金箔の記憶
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金箔の家に生まれて
私が生まれたのは、石川県小松市の病院。
けれど、育ったのはもっと小さな町──日本海に面した、白山のふもとの美川町でした。
父の実家は金箔屋。
でも彼はその道から、少し離れた人生を歩もうとしていました。
大学では英語を学び、通訳のアルバイトをして、銀行に入り、
念願だった外国為替の部署にも配属されました。
その後は港運会社に転職し、輸出入の仕事を学びはじめていた頃──
突然、家の事情で再び工房を継ぐことになったのです。
思い描いていた人生とは、少し違う道だったのかもしれません。
けれど父は、そのことについて何も語りませんでした。
ただ静かに、目の前の仕事に向き合っていた姿が今でも忘れられません。
そんな父が、よく言っていた言葉があります。
「おまえは、好きなことをやりなさい。自由に、生きなさい」
それは命令でも教訓でもなく、
彼自身が語らなかった“もしも”を、そっと私に託すような声でした。
私は工芸とも職人の世界とも距離を置いて育ちました。
好きなことをして、外の世界を見て、自分なりの道を探してきました。
けれど今になって、ふと気づくのです。
私の中には、父が本当にやりたかったことの“続きを生きたい”という、
静かで確かな意志が、ずっと眠っていたのだと。
響いていたのは、金を打つ音だった
工房は、静かというより、金を打つ機械音が響く場所でした。
ガン、ガン、と規則的に鳴る重たい音が、空間を支配していました。
金箔づくりは、静寂の中の作業ではありません。
特に、金を何度も何度も叩いて延ばす工程では、大きな音と振動がつきものでした。
その一方で、打ち終えた金を「箔」として扱うときには、極限の繊細さが求められます。
扇風機すら許されない──
ほんのわずかな風でも金箔はふわりと舞い、破れてしまうからです。
そんな厳しい環境の中で、
父は力強い工程を、母は繊細な仕上げを。
それぞれの仕事をしながら、でもどこかで支え合っていました。
私は、そのふたりの背中を、ずっと見て育ちました。
多くを語るわけでも、演出されたような温かさでもなく、
でもたしかに、協働する夫婦の姿が、そこにありました。
工房の中は、淡々としていて、ある意味で心地よかった。
けれどその外側──職人社会や商売の世界には、厳しさがありました。
狭い業界ゆえに起きる引き抜きや、信頼の揺らぎ。
そして、ときに静かに行われる牽制や無言の圧力。
父はそういったことを直接語ることはなかったけれど、
時折、背中からその疲れが滲み出ていた気がします。
今にして思えば、それも商売というものかもしれません。
競争があり、仕組みに勝った人が生き残る世界。
でも──
父には、そんな道とは違う、生き方もあったのではないか、
そう思う瞬間もあります。
それでも、父と母の手から生まれた金箔は、
誰にも真似できない美しさを放っていた。
それは、ただの素材ではなく、
祈りのかけらのような何かを、たしかに宿していたのです。
消えていったもの
私が「まかないこすめ」を立ち上げたのは、
工房の台所にあった、祖母や母の知恵──
“裏方の美しさ”を、もう一度世の中に届けたいと思ったからでした。
金箔づくりの過程で培われた肌への気遣いや、
職人の手をいたわるための自然の工夫たち。
それは、華やかではないけれど、確かに人を支える力を持っていました。
ブランドは少しずつ、動き始めました。
お客様の声が届き、商品が並び、
やっと「かたちになってきた」と感じられるようになったその頃──
父が亡くなりました。
ようやく何かを伝えられそうだった。
ようやく、自分にもできる小さな一歩が、家族の営みに続いているように思えた。
けれどそのとき、父はもう、この世にはいませんでした。
父は、まかないこすめの店舗も、
そこに生まれていた賑わいや、私の静かな達成感も、見ることがありませんでした。
「何ひとつ楽しい思いをさせてあげられなかった」──
その想いは、今でも胸の奥に残っています。
それでも、きっとどこかで見ていたのではないか。
言葉にすることもなく、ただ静かに、
遠くから私の背中を見守っていてくれたのではないか。
そう思いたくなるような瞬間が、時折、ふいに訪れるのです。
WAJOYの原点
工房も、技術も、父も、もうこの世にはありません。
けれど不思議なことに──
私は今、再び金箔という素材と向き合っています。
それは、かつて父が歩んだ道をなぞりたいわけではありません。
同じように工芸を守る人になりたいわけでも、
伝統をそのまま受け継ぐことが目的でもないのです。
私が惹かれたのは、「失われたもの」に宿る静かな問いでした。
なぜ、こんなにも美しいものが消えてしまうのか。
なぜ、私たちは“欠けてしまったもの”を無かったことにしようとするのか。
そして気づいたのです。
私が本当に伝えたかったのは、“完全なもの”ではなく、
むしろ、失われたものを抱えながら、それでも美しく在ろうとする姿勢なのだと。
WAJOYは、そうした問いから生まれたプロジェクトです。
金箔や漆、工芸の技を通して、
「再構築」や「継承」という言葉では届かない、
もっと深い“心のかたち”のようなものを、もう一度考え直したい。
WAJOYがめざすのは、“生き方としての美しさ”の再定義です。
それは、過去でも未来でもなく、“いま”の私自身がほしいと感じているものなのです。
これから
私には、ずっと忘れられない風景があります。
日々、黙って手を動かし、誰にも褒められず、
それでも誰かのために、美しいものをつくりつづける人たち。
父も、母も、祖母も──
そして今、日本中の見えにくい場所で、誇りを持って技術を磨き続けている職人たちも。
私は、そんな人たちの力が、もっと自然に世界に届く環境をつくりたいと思っています。
それは“ステージに上げる”ということではなく、現代の暮らしの中に、あたりまえに美が根づく状態を、共につくっていくことです。
WAJOYは、そうした構造の再設計と出会い直しの場です。
工芸とは、ただ失われていくものではありません。
日本の職人は、壊れたものですら、もとの“完璧さ”を超えて、美しくする技術と工夫を持っています。
そして何より、その手から生まれるものは、最初から完成度が極めて高く、
それだけで人の心を動かす力があります。
けれど、その完璧なものが壊れたときにさえ、
「もう一度向き合い、手をかけ直すことで、前より美しくする」──
そこに、日本のものづくりの真の底力があるのだと思います。
私は、そうした精神を、ただ保護するのではなく、
今の世界の暮らしや美意識と響き合うかたちで、“再編集”していきたい。
きれいごとではなく、確かな需要と手触りをもったプロダクト。
“ただ売れるもの”ではなく、“本当に欲しいもの”。
その間をつなぐような美しい提案を、私は職人たちとともに生み出していきたい。
そこには、静かな覚悟と、ワクワクが共にあります。
WAJOYは、過去でも未来でもなく、“いま”を美しくするための現場なのです。
世界に耳を澄ませながら
今後は、日本の工芸の本質と可能性を見つめながら、海外で活躍する工芸・デザイン・建築・文化関係者へのインタビューを通して、その視点や対話を綴っていきます。
※英語版インタビュー等は Medium にて公開しています。
私たちは、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の収益金をもとに設立された「日本万国博覧会記念基金」より、2025年度の助成対象事業として採択されました。
本基金は、国際相互理解の促進や文化の振興といった万博の理念を継承し、そうした活動を支援することを目的としています。
https://www.osaka21.or.jp/jecfund
偶然にも、大阪・関西万博が開催される2025年にご採択いただいたことを重く受け止め、
私たちもこの年の理念にふさわしいかたちで、能登の伝統工芸を守り、世界との新たな対話を生み出す活動に取り組んでまいります。

友人の紹介で知り合った世界的なバレエダンサーの高橋裕哉さんが能登半島地震復興支援のチャリティバレエ「ロミオ&ジュリエット」を主催、公演。その収益は全額、石川県を通じて被災地の支援に寄付されるため、応援に行ってまいりました。
今年の最後となる輪島での各職人さんや塗師屋さんとの話し合いに行ってまいりました。10か所の職人さんや塗師屋さんをまわり、輪島市役所の復興推進課の皆さんともお話しをし、今後の輪島塗を中心とした私たちの支援方法などをお聞きしてまいりました。また、会員のみなさまへのギフトも各輪島塗の方々の商品から選ばせていただきました。